ストリンガー鷹史About Stringer Takahumi
Stringer鷹史という男
1972年1月、島根県松江市にて鷹史は生まれた。
スポーツショップを稼業とする家に生まれた彼の環境は、幼い頃からいろいろなスポーツで溢れていた。
10代までの鷹史
彼の少年期と青年期は、波瀾万丈で紆余曲折な人生だったように思う。
小学校の時にイジメをする側となり、中学校ではイジメられる側になった。
沈黙を貫いて自己抑制する日々もあれば、定常的に暴走するのを止められない時期もあった。
生きるか死ぬかを危ぶむほど壮絶な経験が何度もあった。
家庭内に事情がありすぎて、自分自身と対峙しては身の置き場なく模索するような時代を過ごした。
人生の転期
鷹史が本格的にテニスと関わるようになったのは24歳の頃。
それまではバスケットボール一色だった彼が選手としてテニスをし、初めてのソフトテニスの大会で準優勝をする快挙だった。
その後も選手として上を目指そうとするが、靭帯損傷などの古傷の影響もあって選手として生きる道を断念し、選手のサポートをするガット張り:ストリンガーの道を選んだ。
その後、ストリンガーの師匠ダニエルとの出会いが転期となり、鷹史の人生を大きく変えることになる。
ガットの技術を本格的に学び、ひたすらにストリングに向き合う日々を過ごした鷹史は、幸運なことにテニスのグランドスラム・全仏オープンでストリンガーとして参画するチャンスを得た。
そこでマイケル・チャンの目に留まり、絶賛され、鷹史のストリング技術が世界的に認められた。
フレンチオープンのツアー期間中、張り替えたガットの長さの距離が地球何周分になっとか・・それがギネス記録に認定されたこともある。
また、全豪オープンでは、当時低迷していたスペインのコンチタ・マルティネスのストリングを担当し、下馬評を覆す準優勝へと導き、その後訪れる彼女の引退への花道を飾った。
なんとも華々しい経歴と、輝かしい称号を手に入れた。
でもこの男は、これだけでは終わらなかった。
拠点を日本へ
ストリングハウスT.spotをオープンした後も、鷹史は飽くなき努力によって技術の向上を目指す。
ストリンガーのプロフェッショナルとして生きていくためには、もっと中身を熟知しなければならないと考えた鷹史は、ストリング技術の更なる研究を重ねていった。
いろいろな種類のガットをグラム単位で計測し、張り具合をノートに記録して膨大なデータをまとめた。そのデータを検証していくと、これまで見えなかった法則が見えてきた。
また、ガットの張り具合を目で見て、弾いて音を聞き、細かな振動を感じ、カラダ全体にその感覚を覚え込ませた。
さらに、言葉を学び直した。選手との会話を大切にし、ストリングについてしっかりと言葉で説明できるようにし、選手のコンディションを理解することにも努めた。
「選手を生かすも殺すも俺次第。負ければ俺のせい。」と彼は言う。
未成年期に人を傷つけ人に傷つけられた苦い経験、世界トップのストリンガーとして切磋琢磨してきた経験、地味に地道に努力してきた経験と、誰にも負けない探究心が、鷹史のストリンガー技術を向上させ、それはさらに進化していった。
最後に
今、ストリンガーの職と並行しコーチとしても始動している鷹史は、選手のフィジカルとメンタルの両方をサポートする。怪我をさせない練習メニューの考案など、常に選手ファーストの姿勢を崩さない。
彼は言う。
「俺はストリンガーとして世界の舞台を見させてもらった。今度は選手に世界の舞台を見せてやりたい。」
彼はプロフェッショナルとして、この仕事をビジネスライクに請け負うことは決してしない。
本質を知り、筋を通し、スポーツマンシップに則り、選手のために選手に向き合う男である。
それが、ストリンガー鷹史という男。
座右の銘はこうだ。
本当に、この先もずっときっと、おもしろい男だ。
Written by S.
I sincerely appreciate Mr.A for his help in writing this article.
経歴
1972
- 島根県松江市生まれ。
1996
- それまでバスケット一色だったが、初めて本格的にテニスと出会う。
ただ、靭帯損傷など古傷もあり、テニス選手としての開花は難しいと判断。サポート側で勝ちを味わいたいと思い、ストリンガー人生が始まった。
1997
- ガット張りの師匠ダニエルとの出会いが鷹史のストリンガー人生を大きく変える。
- テニスの4大国際大会であるグランドスラム・全仏オープンにストリンガーとして参画
- 世界ランキング2位のマイケル・チャンのラケットを本人の完全指名で担当。
ガット張りの技術が評価され、選手から支持を受ける。 - アンナ・クルニコワなど世界的トッププレーヤーのガット張りを担当
- ジャパンオープンにストリンガーとして参画
1998
- テニスの4大国際大会であるグランドスラム・全豪オープンにストリンガーとして参画。スペインのコンチタ・マルティネスを準優勝へと導き、その後まもなく訪れる引退の花道を飾った。
- ジャパンオープンにストリンガーとして参画
- 東レパンパシフィックオープンテニスにストリンガーとして参画
1999
- ジャパンオープンにストリンガーとして参画
- 東レパンパシフィックオープンテニスにストリンガーとして参画
2000
- 東レPPOにストリンガーとして参画
2001
- ここまでのストリンガーとしての実績によって、TV・ラジオ・新聞等の取材が増え、ストリンガーのステータスを確立。
- 鳥取県米子市に、ストリンガーとしてのステータスの証であるストリング専門店ストリングハウス T.spotをオープン
2022
- ITF(International Tennis Federation)ツアーリングコーチとして始動
2023
- 米子高専の硬式テニス部コーチ
現在
- ストリングハウス T.spot店長として活動を継続中
- 国内外でのガット張り、テニススクールや個人選手専属のコーチをはじめ、練習方法や心と身体のケアにいたるまで、選手のトータルサポートをしている。